松江城

城下町松江のシンボル、松江城。
全国で現存する12天守のうちのひとつで、
唯一の正統天守とも言われています。

松江開府の祖 堀尾吉晴

松江城と城下町を作り上げた
戦国武将「堀尾吉晴」。

息子、忠氏の関ケ原の
戦いの功績により、
出雲・隠岐両国24万石を
与えられたことから、
慶長5年(1600年)に忠氏と共に、
遠江国浜松(静岡県)から
月山富田城(島根県安来市)に
入ります。

ところが月山富田城は、
土地が狭く、周囲が山々に
囲まれていたため、
交通が不便であり、
戦でも不利になりやすい
地形でした。

そこで吉晴は、
広大な城下町を形成するために、
松江に城を築き上げることを
決めました。

慶長8年(1603年)に江戸幕府から
新城建設の許可を得ると、
息子の忠氏と共に
床几山(松江市上乃木)に登り、
頂上から城地の選定に乗り出します。

しかし、ここで親子の意見が対立。
父吉晴は広大な広さを持つ
「荒隈山」を候補に
挙げたのに対し、
忠氏が維持費がかからない
「亀田山」(末次城跡)を
提案してしまったため、
この時は城地を選定することが
できませんでした。

城地が決まらないまま
1年が経過した慶長9年(1604年)、
忠氏が病気により急死。
息子の無念を晴らすべく、
吉晴は意見を変え、
忠氏が提案した「亀田山」を
城地とすることに決めました。

工事は1607年に着工しましたが、
大橋川を渡るために架けられた
松江大橋や松江城の天守台の石垣は、
「人柱」を立てなければならないほどの
難工事でした。

1611年、5年もの長い歳月をかけて、
ようやく松江城が完成しました。

吉晴は松江城の完成を見届けた直後、
この世を去りました。


大手前には、
堀尾吉晴の功績を称える
銅像が建てられています。

1634年からは堀尾氏に替わって
京極忠高が松江城主となります。
三の丸を造営し、松江城の全容が
完成します。

京極忠高は、幕府直轄領であった
石見銀山の監督権を与えられるなど、
歴代松江藩主のなかで
最大の領地を治めますが、
1638年に病死し、京極氏は
1代で幕を下ろします。

同年、徳川家康の孫、松平直政が
信濃松本より18万6千石で入城し、
出雲国松江藩初代藩主に。

これ以降、松江城は
松平氏10代の居城として
明治維新まで続きました。

明治になると、廃城令が公布されます。
城内の建物はことごとく取り壊され、
天守閣も180円で落札されてしまい、
松江城は存続の危機に陥ります。

しかし、出東村の勝部本右衛門、
高城権八らに買い戻されたため、
取り壊しは中止となり、
現在、山陰地方で唯一の天守が
今に残っています。

全国に現存する天守の中で
平面規模は2番目、高さは3番目、
古さでは5番目です。
2015年に国宝に指定されました。

馬溜


堀尾吉晴像に別れを告げ、
城の敷地に入ると、
大きな長方形の平地が
広がっています。

ここは、馬溜(うまだまり)と
呼ばれており、
隠れる場所がなく、
敵が侵入してきても
発見しやすい構造になっています。

石垣

馬溜の奥には、
高さ13mの巨大な石垣が
立ちはだかっています。

上に建つ塀の狭間から
鉄砲や矢で集中攻撃されるので、
敵はここから城内に
侵入するのが困難でした。

松江城の石垣は、
自然石や割石を積む
「野面積み」と
石切り場で切り出した石を
平坦な面の角を加工して
合わせやすくした
「打ち込み接」の
2つの石積み手法が使われています。

松江城の野面積みは
「牛蒡積み」といい、
石の大きい面を内側に
長く押し込む方法を採用しています。
石垣で最も頑丈な積み方と
されています。

5年間の築城工事のうち
全体の半分以上の3年間は
石垣に費やしました。

大阪から石工を、
大津市坂本町穴太から
石垣の築成に優れた技能を持つ達人、
穴太衆(あのうしゅう)を招き、
石垣を構築しました。


ここからは、
天守内部を紹介します。

地階(穴蔵の間)

地階は、籠城用生活物資の貯蔵倉庫で、
穴蔵の間と呼ばれ、飲み水や塩などが
備蓄されていました。

天守内に井戸があるのは、
現存天守ではここ松江城だけです。


また柱には、模擬札を使った祈祷札の
打ち付け位置が再現されています。

かつて松江城は、正確な築城時期が
不明で、特定できなかったため、
国宝に指定されませんでした。

しかし、「慶長拾六年正月吉祥日」などと
書かれたこの祈祷札が
松江神社で見つかり、
ここ地階にある柱のくぎ穴の場所が
祈祷札と一致したことから、
この松江城が慶長16年(1611年)に
建てられたことが証明され、
国宝に指定されました。


天守内に飾られているものは
レプリカで、実物の祈祷札は、
松江歴史館で大切に保管されています。

なお、不定期ですが、
実物の祈祷札は、
松江歴史館の基本展示室で、
期間限定で展示されます。

通し柱

 

松江城が国宝に指定された
もうひとつの決め手「通し柱」。

松江城が築城されたころは、
全国各地でお城が
建てられていたため、
木材が不足していました。

大きな木が
手に入らなかったので、
心柱のような大きい柱が
作れませんでした。

そこで2階分の短い通し柱を
バランス良く配置して、
天守を支えています。


桐の階段

板の厚さは約10cm、階段の幅は1.6mで
1階から4階の各階の間に
設けられています。

敵が攻めてきた際に、階段を引き上げて
敵を上階に登らせないために、
また、防火防腐のために
桐が使われています。

他の城では見られない
とてもめずらしい階段です。


包板(つつみいた)

天守にある総数308本の柱のうち、
130本の柱は、鎹(かすがい)や
金輪(かなわ)で留められています。

この柱を覆う板を
「包板(つつみいた)」と言い、
割れ隠しなど不良材の体裁を
整えて、木材不足を補っていました。

 

石落とし

2階の四隅と東・西・北壁には、
幅が広い穴が開いています。

これは「石落とし」と
呼ばれる仕掛けで、
天守に近づく敵に石を落として
攻撃するために設置されており、
外からは発見しにくい構造に
なっています。

石落としの形状は、
袴腰型・戸袋型・出窓型の
3種類がありますが、
松江城は袴腰型です。

袴腰型の石落としは、
1階にあることが多いですが、
松江城には2階にあります。

 

狭間

侵入してきた敵を
この穴から鉄砲や矢で狙います。

正方形の穴は、
鉄砲を撃つための「鉄砲狭間」
長方形の穴は、
矢を放つための「矢狭間」です。

 

天守最上階(天狗の間)

天守最上階は天狗の間と呼ばれ、
松江の町並みを
360度一望できる
絶景スポットです。

特に南向きの方角は、
宍道湖や嫁ヶ島を
見渡すことができるので、
記念撮影におすすめです。

 

 

 

 

 

 

 


施設情報

年中無休

本丸開館時間

期間 開門時間
4月1日~9月30日 午前7時~午後7時30分
10月1日~3月31日 午前8時30分~午後5時


登閣時間

期間 開門時間
4月1日~9月30日 午前8時30分~午後6時30分(登閣受付は午後6時まで)
10月1日~3月31日 午前8時30分~午後5時(登閣受付は午後4時30分まで)


登閣料
※( )内は、30名以上の団体料金

区分 料金
大人 680円(540円)
小人(小・中学生) 290円(230円)
外国の方 470円 小人は200円



松江城公式サイト


松江城へのアクセス

松江駅からバスで約10分

1番のりばから
北循環線外回りに乗車
国宝松江城県庁前下車 210円 徒歩8分

2・3・6番のりばから
国宝松江城県庁前経由便に乗車
国宝松江城県庁前下車 170円 徒歩8分

7番のりばから
ぐるっと松江レイクラインに乗車
国宝松江城大手前下車 210円 徒歩6分

松江しんじ湖温泉駅から徒歩で
約20分 バスで約5分

1番のりばから
北循環線内回りに乗車
国宝松江城県庁前下車 210円 徒歩8分

1・2・3番のりばから
国宝松江城県庁前経由便に乗車
国宝松江城県庁前下車 160円 徒歩8分

山陰自動車道 松江西ICから
車で約5㎞ 約7分





松江城から出発

☆松江城から一般路線バスで
移動する際は、「国宝松江城県庁前」
バス停よりも「県民会館前」
バス停の方が発着する
バスの便が多いので便利です。

※レイクラインをご利用の方は、
「国宝松江城大手前」または、
「大手前堀川遊覧船乗場・歴史館前」
バス停からご乗車ください。

松江城周辺のバス停の地図はコチラ

松江城周辺の観光名所